内田樹の研究室 - RSS Feed

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Latest articles

希望の共産党

『希望の共産党』というアンソロジーに寄稿を頼まれたので、つねづね申し上げている所論を記した。日本共産党は日本の政治史の文脈の中に置いてみるより、「世界共産党史」の文脈のうちで見る方が、その特質をよく理解できるのではないかという私見を述べた。  日本共産党に私は「市民的成熟」を期待している。そして、それは葛藤のうちに身を持すことによって達成される。共産党が「葛藤に苦しむ政治組織」であることを私は望んでいる。そのような政治組織が今の日本には存在しないからである。自民党は思想的にはほとんど無内容な政党だが(だから、統一教会の綱領や日本会議の綱領を丸呑みしても体を壊さない)、「政権にしがみつくためには何でもやる」という点では全党員がみごとに一致している。公明党は一枚岩のつるりとした政党で、内部での権力闘争はあるだろうが、思想的葛藤はまったくない。立憲民主党以下の野党は党員たちが過去20年間いつどの党籍であったのかの「系譜図」をたぶん政治部の記者でさえ思い出せないくらいに離合集散を繰り返してきた。政治的意見が違うなら「党を割る」ということが心理的抵抗なしにできる人たちに葛藤はない。...

辰巳孝太郎さんと対談した

1月25日に大阪府知事に立候補表明をしたたつみコータローさんが凱風館にいらした。私がTwitterで「辰巳孝太郎さんに大阪市長選に出て欲しい。出たら応援するのに」と書いたのを見て、対談のオファーをしてくれたのである。はじめてお会いするのだけれど、予想通りさわやかな好漢だった。こういう誠実で知的な人に大阪府政を任せたいとしみじみ思った。 対談は「大阪民主新報」に掲載されるが、字数制限があったので、以下にロングヴァージョンを掲げておく。 内田 大阪市長じゃなくて府知事だったんですね(笑)。 たつみ 年末に「明るい会」という政治団体から要請を受けて快諾しました。記者会見で、国政でやってきたが迷いはなかったかと聞かれましたが「ゼロです」と答えました。大阪の悪い政治の大本である維新政治をとにかく変えたいと。...

『慨世の遠吠え』あとがき―鈴木邦男さんを悼んで

あとがき  みなさん、こんにちは。内田樹です。『慨世の遠吠え2』お買い上げありがとうございます。まだお買い上げではなく、立ち読みして「買おうかどうか」迷っている読者の方にも手に取って下さったことについてお礼申し上げます。買おうか買うまいか、気持ちが決まるまで、もうしばらくこの「あとがき」を立ち読みしていってください。  この本は鈴木邦男さんとの対談をまとめた二冊目の本です。二冊を通して読むと、僕がこの対談を通じて鈴木さんに強く影響されているのがわかると思います。僕が鈴木さんから学んだのは、なによりも「人として独立していること」のむずかしさとたいせつさでした。「あとがき」に代えてその話をしたいと思います。  鈴木さんは「独立独行」の人です。「自立した思想家・運動家」というふうに形容する人もいるかも知れませんけれど、「自立」では言葉がいささか足りない。...

県立大学の無償化について

 数年前から、近畿圏のある県の知事から時々呼ばれて、提言を求められている。このところは哲学者の鷲田清一先生とご一緒である。地方自治のトップが私たちの浮世離れした話を聴いてくださるのである。ありがたいことである。  鷲田先生と私が地方自治体の長に呼ばれて意見を徴されたというのは、もう10年以上前、当時大阪市長だった平松邦夫さんに呼ばれて以来である。鷲田先生はその頃阪大総長だったと思う。その時は宗教学者・僧侶の釈徹宗相愛大学教授もご一緒だった。三人で市長を囲んで、教育について思うことを自由に話した。よい時代であった。それから絶えて政府からも地方自治体からも「ご意見拝聴」というような機会はなかったのだが、数年前からある県知事からときどきお声がけ頂くようになった。    鷲田先生はこの集まりで前回から県立大学の無償化を提言している。掬すべき見解だと思う。学費も寮費もゼロ。奨学金も出す。規模の小さな大学だから、県財政に響くような支出にはならない。...

複雑系と破壊のよろこび

 年頭にはよく「今年はどうなる」という予測を求められる。予測が外れても失うほどの知的威信もないので、気楽に予測を語ってきた。十年スパンの国際情勢についての予測などはそこそこ当たるけれど、一年くらいのスパンでの政治についての予測はだいたい外れる。それは政治が複雑系だからである。 「複雑系」というのは「北京で蝶がはばたくと、カリフォルニアで嵐が起きる」というカラフルな喩えから知れるように、わずかな入力差が巨大な出力差として現象するシステムのことである。そして、政治や経済は複雑系である。  ロシアのウクライナ侵攻はプーチン大統領の脳内に兆した「主観的願望」がスイッチになった。冷静なテクノクラートが側近にいて「大統領、それほど簡単にウクライナは降伏しませんよ。長期戦になるとロシアは失うものが多すぎます」と諫言していれば、プーチンも再考したかも知れない(しなかったかも知れない)。でも、この選択によって世界の政治と経済は劇的に変化した。...

世界標準を創る人たち

 平川克美君が店主の隣町珈琲の新年会に顔を出したら養老孟司先生、佐々木幹郎さん、関川夏央さん、春日武彦さんたちと思いがけなく久闊を叙すことができた。平川君からの「お年玉」である。そこに鳥取の智頭で天然酵母のパンとビールを作っているタルマーリーの渡邉格・麻里子さんご一家も来ていたので、手作りの美味しいビールを飲みながら、「過疎地から世界標準の製品を送り出す」計画について話し込んだ。  人口減日本が採り得る選択肢は「都市集中」か「地方分散」かのどちらかしかない。政府と財界はいちはやく「都市一極集中」シナリオを選択して、国民的議論抜きに着々と地方の過疎化・無住地化を進めている。その方が「金になる」という算盤を弾いているのである。そして、このシナリオの宣伝役として「過疎地に住む住民には行政サービスを要求する権利がない。不便がいやなら過疎地を捨てろ」と言い出す人間がわらわらと出てきている。...

最悪の事態を想像することについて

 年頭なので「2023年はどうなるんでしょう」といろいろな人から訊かれる。そういう場合には「起こり得る最悪の事態」を語ることにしている。  去年の年頭に「ロシアがウクライナに侵攻する」と予測していた人はきわめて少なかった。「ウクライナが徹底抗戦する」と予測した人はもっと少なかったと思う。なぜ予測がはずれたのか。両国の軍事力・経済力・外交力は比較可能であった。そこから推理して、侵攻後数日から数週間でウクライナは屈服し、指導者は亡命し、親ロ傀儡政権ができると多くの人は予測した。でも、現実はそうならなかった。実際に現実変成力を発揮したのはウクライナ国民の「気持ち」であり、それは数値的には考量できないものだったからである。私たちの予測がしばしば外れるのは「人の気持ち」に強い現実変成力があることを勘定し忘れるからである。...

『ストーリーが世界を滅ぼす』書評

『ストーリーが世界を滅ぼす』(ジョナサン・ゴットシャル、月谷真紀訳、東洋経済新報社、2022年)の書評を頼まれて、東洋経済オンラインに寄稿した。 「ポスト真実の時代の指南書」 「ポスト真実の時代」という言葉が私たちの時代を形容する語としてふさわしいものであると実感されたのはいつか。これについてはかなり厳密に時日を挙げることができる。それは2017年1月22日である。その日に放送された「ミート・ザ・プレス」のインタビューにおいて、アメリカ合衆国大統領顧問ケリーアン・コンウェイは、ホワイトハウス報道官ショーン・スパイサーが、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ大統領就任式には「過去最大の人々が就任式をこの目で見るために集まった」と虚偽の言明をしたことについて問われ、その言明は「もう一つの事実(alternative...

被査定マインドについて

 合気道という武道を教えている。稽古を始めて半世紀、教えるようになってから30年経った。数百人の門人を育てて分かったことは、今の日本社会が「非武道的な人間」を量産するための仕組みだということである。  誤解している人が多いが、武道は勝敗強弱巧拙を競うものではない。ふつうの人は武道というのは、競技場にいて、ライバルと対峙し、勝敗を争ったり、技量を査定されるものだと思っている。たしかに、サッカーやボクシングやフィギュアスケートはそうである。でも、武道は本来はそういうものではない。というのは、「査定」されるというのは「後手に回る」ことだからである。「後手に回る」ということは武道的には「遅れる」ということであり、それは勝敗を競う以前に「すでに敗けている」ということである。  武道修業の目標は「場を主宰する」ことである。柳生宗矩の『兵法家伝書』には「座を見る 機を見る」という言い方があるけれど、要するに「いるべき時に、いるべき処にいて、なすべきことをなす」ことである。いつどこにいて何をするのかについて、あらかじめ誰かが「正解」を知っていて、それに沿うように生きるということではない。正解はない。自分にとって最も自然で、最も合理的で、最も必然性...

アジア人物史月報

姜尚中さんが編集にかかわっている『アジア人物史』というシリーズが出ることになって、月報にエッセイを頼まれた。  歴史の風雪に耐えたものだけが生き残り、歴史の淘汰圧に耐えきれなかったものは消えてゆく。よくそう言われる。でも、それほど軽々しくこのような命題に頷いてよいのだろうか。私はいささか懐疑的である。  たしかに「棺を蓋いて事定まる」という古諺の意味なら私にも分かる。ある人がどれほどの人物だったのか、その人の事績がどれほど意義のあるものだったのかは生きている間には確定しない。死んでからそれなりの時間が経たないとほんとうのところは分からない。その通りである。でも、死んでからあまり時間が経つと、それはそれで分からなくなる。死んで50年くらいまでなら、史料もあるし、記憶している人もいる。でも、100年くらい経つと、文書は四散し、生き証人は死に絶える。1000年も経つと、日常生活の中でその人の名が口の端にのぼるということは、よほどの例外的人物以外についてはなくなる。...

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