内田樹の研究室

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後手に回る政治

 菅義偉首相の長男が勤める放送事業会社東北新社から接待を受けていた総務省官僚たちが処分されたのに続いて、山田真貴子内閣広報官が辞職した。山田氏の場合、当初「会食の記憶はない」と答弁していたが、総務省が会食の事実を明らかにすると一転して謝罪。しかし、その後も会合の詳細を明らかにせず、給与の一部返納での幕引きを図り、菅首相も続投の考えを示したが、それがまた一転して辞職に追い込まれた。 「一転して」ということが菅政権では頻発している。最初は強気で乗り切るつもりでいたものが、世論の批判が収まらずに、ずるずると押し切られて前言撤回というのは、Go To キャンペーン、懲役・刑事罰を盛り込んだ特措法案、今回の山田氏の人事と連続している。 政権基盤が脆弱であるせいだという説明記事を見るが、それは因果関係が逆のような気がする。むしろ菅政権が本質的に「後手に回る」体質なので、政権基盤が削り取られているのではないか。...

日本のイデオクラシー

 ローマ時代の法諺に「事実の無知は弁疏となるが、法の無知は弁疏とならず」というものがある。ある事実を知らなかったというのは罪を逃れる言い訳になるが、その行為を罰する法律があることを知らずにその行為をなしたものは罪を逃れることができないという意味である。  国会での大臣や役人たちの答弁を聴いていると、彼らがこの法諺を熟知していることわかる。国民に疑念を抱かせるような行為について「あった」と言えば責任を取らなければならない。「なかった」と言えば、後から「あった」という事実が判明すると虚偽答弁になる。そこで、窮余の一策として彼らが採択したのが「国民に疑念を抱かせるような行為があったかなかったかについての記憶がない」という「事実の無知」による弁疏であった。事実の無知については、これを処罰することができないから、これは遁辞としては有効である。...

2021年の予言

『GQ』の先月号に2021年について予測を書いた。その前編。  こういう時は「いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どちらから聞きたい?」というのがハリウッド映画の定番ですよね。とりあえす悪い方の予言から。  その1。東京五輪は開催されません。これはもうみんな思っているから「予言」にはなりませんけどね。日本国内でもコロナの感染者は増え続けていますけれど、アメリカは感染者数が2500万人、死者数も40万人を超えました。選手選考もできない状況です。考えてみてください、アメリカの選手団がこない東京五輪を。そんなものをNBCが放映するわけがない。アメリカがモスクワ五輪をボイコットした時もNBCは放映しませんでした。支払い済みの放映権料は保険でカバーできたから、今度もそうなると思います。  五輪中止はもう組織委内部では既決事項だと思います。でも、誰も自分からは言い出せない。言った人間が袋叩きにされることが分かっているから。だから、IOCかあるいはWHOから開催中止要請があったら、それを受けて「外圧に屈してやむを得ず」と唇を噛んで中止を発表する。外圧の「被害者」という設定だから、五輪関係者は誰も責任を取らないで済む。メディアも一緒にな...

『若者よマルクスを読もう2』中国語版への序文

 中国のみなさん、こんにちは。内田樹です。 『若者よマルクスを読もう』第二巻の中国語訳が出ることになりました。翻訳出版の労をとってくださった方々にまずお礼を申し上げます。ありがとうございました。  このシリーズはマルクスの代表的なテクストを『共産党宣言』から『資本論』までを選んで、経済学者の石川康宏先生と僕があれこれと解説するもので、全4巻で完結する予定です(いま、僕と石川さんは第四巻のために『資本論』をめぐって書簡をやりとりしているところです)。  この本がどういう企図で書かれることになったのかについては、第一巻にかなり詳しく書いてあります。たいせつなことだけ、もう一度確認しておきたいと思います。  この本は日本の高校生を想定読者に書かれました。ぜひ日本の高校生たちにマルクスを読んで欲しかったからです。...

後手に回る

毎月山形新聞の「直言」というコラムに寄稿している。これは3月11日号への寄稿分。  菅首相の政権運営について「後手」という批判がなされている。感染症対策でも、Go To キャンペーンでも、山田内閣広報官の辞職でも、政府決定に世論の批判が収まらず、前言撤回に追い込まれたことを指している。 「後手に回る」というのは武道の言葉であるが、時間的な遅速を意味するわけではない。仮に難題にすばやく対応できても「先手を取った」とは言われない。まず難問があり、それに対してなんらかの解を以て応じるというふるまいはすべて「後手に回る」と言われる。  気づいている人が少ないが、私たちは子どもの頃から、「後手に回る」訓練をされてきている。問いを出されて、それになんらかの解を出し、正解すればほめられ、誤答すれば罰されるという学校教育の形式がそもそも「後手に回る」練習なのである。...

コロナが学校教育に問いかけたこと

 感染がまだ収束していない段階で、「ポストコロナ期に社会はどう変わるか」を問うのはいささか前のめりの気もする。でも、そういう未来予測を行うことはたいせつなことだと私は思っている。いまの時点で「予兆」として見えて来たもののうちいくつかはのちに現実化し、いくつかはそのまま立ち消えになる。何かは実現し、何かは実現しない。「起きてもよいはずのこと」のうちいくつかは起こらない。なぜ「起きてもよいこと」は起こらなかったのか、それを思量することは私たちの社会の基盤をかたちづくっている「不可視の構造」を手探りするためには有効な作業だと私は思う。  歴史家は「起きたこと」について「それはなぜ起きたか」を説明してくれるが、「起きてもよかったのに起きなかったこと」については何も教えてくれない。歴史家の仕事ではないからよいのだが、私は気になる。いまコロナ感染爆発の渦中にあって、いくつかの社会的変化の予兆が見えている。よい予兆もあるし、悪い予兆もある。ここでそれがどうなるか予測してみたい。だから、私がこれから書く文章はできたらコロナ収束後、あと一年か二年あとに読んだ方が面白いかも知れない。...

コロナ特措法について

 新型コロナウイルス特措法改正案について、自民党と立憲民主党が修正合意して、論点となっていた入院を拒否した感染者に対する懲役刑は削除され、刑事罰である罰金は行政上の軽い禁令違反についての過料に改められた。少しだけ安心したが、当初案にあった入院拒否者は「1年以下の懲役か100万円以下の罰金」という規定に私はつよい不快と不安を覚えた。ここにはいまの政権の危険な本性が露呈していたと感じたからである。  緊急事態において、政府や自治体が市民に私権の制限を要求することには合理性がある。だがそれは公的機関がやるべきことはすべてやり尽くして、あとは市民に公共的なふるまいを求める以外に手立てがないという場合に限られる。政府や自治体が私権の制限について抑制的になるのは、その前段に「やるべきことをやり尽くした」という条件が付されているからである。果たして今回の特措法の起案者は「やるべきことはやり尽くした」と言い切れるだろうか。...

日本のスキー文化の晩鐘

 ご縁を得て、ある時期から毎冬白馬村にスキーに行くようになった。先日二年ぶりに八方尾根を滑って、人があまりに少ないのに驚いた。コロナ以前は外国人のスキーヤー、ボーダーが多かったけれど、コロナで渡航が途絶えて、彼らがいなくなってしまったのである。  二年前までは講師も生徒も英語ベースというスキー学校があった。リフト待ちのときにふと気が付くと英語やフランス語を話す人たちに囲まれた。リフトに乗り合わせた人と「どこからいらしたんですか?」「オーストラリアです」というような会話をすることが当たり前になっていた。それも当然だと思う。日本人のスキー人口はしだいに高齢化しつつあるし、実数も減っているからである。バブル全盛期、若い人たちが真新しいウェアに身を包んで「芋を洗うように」ひしめいていたゲレンデ風景のことを思うと隔世の感がある。インバウンドのビジターたちのおかげで日本のスキー場が経済的に存立できることは素直に喜びたいと思う。それでも日本のスキー文化が消えることには一抹の寂しさを感じる。...

倉吉の汽水空港でこんな話をした。

2021年1月17日に倉吉の汽水空港という不思議な名前の書店に招かれて、お話と質疑応答をした。私の講演部分だけ採録。  ここ汽水空港がこの地域の文化的な発信拠点となっているようですが、同じようなことが今日本各地で起こっています。共通項は、壁に本棚、コーヒーが飲める木造のスペースということでしょうか。新しい時代のモデルというのはイデオロギーとか理念とかではなく、実はイメージなんじゃないかと思います。手触りとか、匂いとか、そういうものにリアリティがあれば、イメージは浸透力を持ち現実変成力がある。  何かトレンドが起きるときは、イメージが先行するんです。大学にポストを得て初めて授業をした日、僕はツイードのジャケットにダンガリーのシャツ、黒いニットタイにボストンの眼鏡といういでたちで教壇に立ちました。授業の後に学生から「そんなに着込んで暑くないですか?」と訊かれて、四月中ごろにどうしてオレはこんな格好しているのか考えました。そして、それが『失われた聖櫃(アーク)』でインディ・ジョーンズ博士が冒険の旅の後、大学でつまらなそうな顔をした女子学生の前で考古学の授業をしているときのスタイルだったことに気がつきました。映画を観て「ああいう恰好を...

ALSについて

 劇団態変を主宰している金滿里さんから「IMAJU(イマージュ)」という定期刊行物が送られてくる。以前、舞台を見てから、それについて金さんと対談をするという企画があって、それがこの雑誌に掲載されたことがある。それ以来ときどき金さんとお会いする。前にお会いしたのは、去年の凱風館でのパンソリの安聖民さんの公演においでになった時だった。  今回の「IMAJU」2020年冬号はALSの特集だった。  ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気について、私は二人の人しか知らなかった。  一人は私が師と仰ぐ哲学者エマニュエル・レヴィナスが最も大きな影響を受けた哲学者フランツ・ローゼンツヴァイク。もう一つはこの特集にも金さんやALS患者の橋本操さんたちとの座談会に参加している甲谷匡賛さん。何年か前に、甲谷さんの暮らす京都の町屋を釈徹宗先生と「聖地巡礼部」でお訪ねしたことがあり、そのときに市井を自由に生きる甲谷さんの姿を見て、驚きを覚えたことがある。...

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