自炊歴も30年になると、料理も適当になってくる。テキトーという意味ではなく、あり合わせのものでなんかするイメージ。レシピ通りに作らないし、調味料も目分量になる。代わりに、食費と洗い物の最小化を目指したり、極限までサボったり、変わった料理に挑戦したりする。自分の中で、「料理とはこんなもの」という料理観みたいなものが出来上がっている。そのため、普通のレシピは、レパートリーを増やすためにチラ見する程度になる。一方で、私の料理観を揺さぶり、変化させるような本もある。何気なくやってた一手間が、実は深い意味を持っていたり、伝統&科学に裏打ちされた本質が見えてきたりする。ウー・ウェン著『料理の意味とその手立て』が、まさにそんな一冊だ。中国家庭料理を紹介しているのだが、いわゆるレシピ集というよりも、料理についての考え方をまとめたエッセイと言ったほうがしっくりくる。料理する人には見慣れたことかもしれないが、これらは、本質的なことだと思う。大事なのは、塩の味を表に出さないで、素材の味を表に引き出すこと炒めものとは、加熱したボウルで素材を和えることどう食べたいのか考えながら切る混ぜない。まんべんなく味つける必要はない料理の本質=塩する塩についてはかなりの分...
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生きるとは何か、死とはどういうことか。生きる「意味」とか「目的」を混ぜるからややこしくなる。複雑に考えるのはやめて、もっと削いでいくと、この結論に至る。 ・生きるとは、他の生き物を食べること ・死とは、他の生き物に食べられる存在になること見た目がずいぶん変わるから、気づきにくくなっているだけで、私たちが口にしているもの全ては、他の生物である。ひょっとすると、幾重にも加工され尽くしているから、それは「肉」ではないと主張する人もいるかもしれない。だが、葉肉であれ果肉であれ、生きていた存在を食べることで、わたしたちは生きている。死を食べて生きている誰かの死を食べることで、私たちは生きていることを理解するなら、『死を食べる』をお薦めする。動物の死の直後から土に還るまでを定点観測した写真集だ。死んだ直後のキツネから、まずダニが逃げ出し、入れ替わるようにハエや蜂が群がってくる(スズメバチは肉食だ)。膨れ上がった体から蛆が飛び出し、その蛆を食べるために他の動物がやってくる―――いわば九相図の動物版で、どんな死も、誰かが食べることで土に還るのだ。キツネからクジラまで、さまざまな死の変化を並べることで、「死とは、誰かに食べられる存在になること」であり、...
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ITエンジニアが修羅場をシミュレートできる3冊+α」……という記事を書いたのだが、長いのでまとめをここに記す。火消しのセオリーと、初見殺しの見分け方お客の反応(否定、怒り、懐疑)の傾向と対策炎上プロジェクトで真っ先にすべきこと「やらないこと」の決め方みずほ勘定系基幹システムMINORIに見る修羅場2021年2月のATMシステム障害の原因実際の炎上プロジェクトを通して学ぶ、修羅場シミュレーターとしての3冊+αだ。『問題プロジェクトの火消し術』はリカバリーするために何が必要で、どうやって話を持っていけばよいかが、具体的に書いてある。そのまま使える言葉がゴシック体で強調表示されているため、なんならメールにコピペして使えるくらい生々しい。『プロジェクトのトラブル解決大全』は修羅場でどう動けばよいのかがまとめられている。いわゆる「正解」があるというより、上手く動けるPMは、たいていこんな言動を取るという、ベストプラクティス集だと思えばいい。『みずほ銀行システム統合』は、修羅場まっしぐらのアンチパターン集としてお薦めする。ここでは、「片寄せしないシステム統合」と「現状把握の禁止令」の2例しか紹介していないが、あなたが読めば、もっと出てくるに違いな...
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問題:以下の3つのカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。「太郎くんは、花子さんを、愛している」太郎くん花子さんハート解答:最初が太郎くん、次がハート、最後が花子さん。→ → 最初に出てくるカットに映っている存在が、動作の主(主語)になる。そして、その次のカットが動作そのものになる。そして、その動作の対象(目的語)になる。止め絵なので脳内で再生してみてほしい。すると、確かに太郎くんが目に入って、次にハートがドキドキしていたら、太郎くんの心象だと感じるだろう。そして、次に映ったものが、ドキドキの対象だと想像がつくはずだ。問題2:上のカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。「太郎くんと、花子は、愛し合っている」解答はこの記事の末尾に載せておくが、テレビを見て育ち、日常的に動画を見ている皆さんにとっては楽勝だろう。それくらい、動画を見ることは、ごく当たり前のことになっている。動画には文法がある動画は、言葉と同じコミュニケーションツールなのだから、言葉と同じようにルールがある。動いている絵をバラバラにならべても、伝わらない(※)。視聴者に伝えたい意図があり、それを限られた時間内で、正確&効果的に伝達する。そのための「文法」のような...
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「鬱な映画」と呼ばれる作品がある。「鬱」と一言でいっても、その意味は幅広く、不安、違和感、自己欺瞞、悔しさ、自己嫌悪、敗北感などのネガティブな感情を指し示す、便利な言葉でもある。そして「鬱な映画」というと、鬱病そのものを正面きって描こうとしている映画や、精神的な病をスパイスとして投影しているもの、あるいは、観終わるとダウナーな気分にさせるような作品など、これまた種々様々だ。エンターテイメントなのだから、胸躍らせワクワクさせる展開や、観ててスカッとするシーン、あるいは感動で涙が止まらなくなるラストを求めるのではないだろうか。お金と時間と集中力を使って、わざわざ落ち込むような映画を観るのはなぜか。一つは、怖いもの見たさというか、悲劇を味わいたいという動機が挙げられる。不運な出来事に巻き込まれ、抜け出そうと足掻くものの、ことごとく失敗し、ラストは絶望の中で最悪の選択をしてしまう……極限状態に放り込まれた普通の人々の悲劇を、自分は、安全な場所で鑑賞する。極限状態に陥った人はどうなるか、そこから戻ってくることが可能かを描いた映画は数多くある。いくつかピックアップしてみた(カッコ内は監督と公開年)。ナチス成分多めだが、わたしのためのメモなので、他...
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まだ小学生だった息子を連れて、サッカー観戦したことがある。試合が始まるのは少し先で、選手たちはシュート練習をしていた。プロを生で観るのは初めてなので、息子はえらくはしゃいでいたことを覚えている。ボールにインパクトが加わると、すこし遅れて「キィン」という金属音が響いたり、ゴールを外したボールが飛んでくる「シューッ」という音が印象的だった。その音で、ある映画のシーンを思い出した。トラックに積んだガラスが横滑りして、そこにいた男の首が切断されてしまう場面だ。ほとんど意識せず、息子の顔の前に、私の右手を差し出した。同時に強い痛みが走り、「キィン」という音が届いた。シュートを外した選手、練習を観ていた人、そして私自身が一番驚いていた。ボールが当たっていたら、子どもの頭は吹き飛んでいたと言えば大袈裟だが、ただでは済まなかったはずだ(後ろはコンクリの階段だった)。最悪を予感して人生を楽しむたまたま不幸を免れたものの、突然の不運は起こり得る。見通しの悪い交差点からは自転車が飛び出してくるものだし、老人はブレーキとアクセルを踏み間違えるものだ。工事中のビルから落ちてくるのは鉄骨で、急ブレーキを踏んだトラックから滑り出るのは強化ガラスである。そこに居合わ...
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いわゆる「胸糞映画」というジャンルがある。下品だったり悪趣味だったり、観た後に気分が落ち込むような作品だ。ずばり恐怖を主題としたホラーの枠に限らない。幽霊や殺人鬼がいなくても、おぞましく理不尽な展開を描いた映画はあるし、鮫やゾンビが出なくても、残虐バッドエンドに至る作品はある(体感だが、普通の人しか出てこない胸糞映画の方がエグい)。わざわざお金と時間をかけるのだから、泣いて笑って感動するようなものを観たがるのではいのだろうか? もちろん普通はそうなのだが、胸糞映画も一定の需要がある(さもなくば、跡形もなく消えているだろう)。私がそうだ。読み手の心を抉り、読後感がトラウマになるものを「劇薬小説」と呼び、好んで摂取してきた(「危険な読書」にまとめた)。読書は毒書なのだ。映画も然り。自ら切開することで、自分の皮膚という境界が分かるように、精神的に痛めつけることで、自分の心がどこにあるかを知らしめる子どもが酷い目に遭うシーンを観て「痛い」と感じる場所こそが、わたしの心の在処なのだ。だが、なぜ、そういう作品を観るのか?ただ「好きだから」だけでなく、その「好き」を支える動機は何か。私の個人的な好みを越えて、一定の需要がある理由はあるのか。「ざまあ...
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水の中には、すごい遺物が眠っている。考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態)ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置)元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器中世のヴァイキング船が丸ごと縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。砂や泥が数十センチも堆積すると、バクテリアが生息できず、ほぼ完全に真空パックされた状態(不活性)になる。水中では温度も安定しているため、保存には最適な状態となる。いわば、水の中のタイムカプセルなのだ。長崎県の鷹島海底遺跡には、元寇の新兵器も丸ごと残されていた。「てつはう」...
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無抵抗な人に向けて、殺傷力の高い武器で、一方的に攻撃する。される側は、男女・子ども関係なく、住んでいる場所を焼かれ、家族を殺され、命が奪われる。空爆がそれだ。無防備の市民を、空から皆殺しにする。これほど残虐で、非人道的な行為はないだろう。しかし、なぜか、空爆は「普通に」まかり通って来たように見える。市街地一帯、ひいては都市全体を火の海にするために実行されてきた。非難や反対の声は挙がるものの、それにより空爆が制限されたり抑止されるかというと、そうはならない。なぜ、空爆による大量虐殺が正当化されるのか?この疑問に応えたのが、『空爆の歴史』だ。空からの植民地支配を振り出しに、ゲルニカ、重慶、ドレスデン、東京、広島、ラオス、コソヴォと続く空爆の歴史を辿りながら、空爆する側のロジックと、黙殺された抗議の両方を知ることができる。空爆は戦争犯罪もちろん、空爆による大量虐殺は、戦争犯罪だ。加害側の圧倒的な優位性を背景に、一般市民を一方的に殺戮する。いくら戦争という非常時とはいえ、そんなことは許されるわけがない。だから、空爆は何度も禁止されてきた。ハーグ平和会議(1899年)、空戦に関する規則(1923年)、ジュネーヴ諸条約(1949年)と、くり返し宣...
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飛び交う怒号、やまない電話、不夜城と化した会議室。集められたホワイトボードが衝立のように立ち並び、全員が立って仕事をしている(座る間が無いから)。週をまたぐとメンバーの疲弊が目に見えはじめ、月を跨げば一人二人といなくなり、仕事場はお通夜となる。トラブルの無いプロジェクトは存在しない。炎上するかボヤで済むかの違いなだけで、大なり小なりトラブルは付きものである。自分が所属する部署は大丈夫かもしれない。だが、隣のブースだとか、同期がいるチームで炎上しているのを横目で見ながら仕事する、なんてことがある。ホワイトボードは目につくし、大きな声はイヤでも耳に入ってくるので、プロジェクトが炎上⇒鎮火するパターンなんてものも、なんとなく伝わってくる。消火作業のイロハとか、怒った客をあしらう方法、リカバリ計画の立て方なんてのも、肌感覚で分かってくる。そして、トラブルの扱いが分かってくる頃には、「応援要員として2週間、サポートに行ってくれ」なんて片道キップが渡される(2週間で終わった試しがないが)。トラブル解決にはセオリーがあるトラブルの解決法は、現場から現場へ、暗黙知のノウハウのように伝えられる。だが、今はリモートワークが中心だ。なので、そうした伝達が難...
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