「死ぬ前に小学生の一日をやってみたい」2chのコピペ。 俺思うんだ・・・ 俺、死ぬ前に小学生の頃を一日でいいから、またやってみたい わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、 学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ 空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、 家族が「おかえり~」と迎えてくれてTV見ながら談笑して、 お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな) お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、 子供なのにさもわかってるように見入ってみたり でも、全部見終える前に眠くなって、部屋に戻って布団に入る みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって… そして死にたい このコピペ、tumblrで定期的に流れてくる度に染み入ってしまう。悩みとか不安とか何もなかった日常がいかに大切で、生きるとは何気ない日々の積み重ねだということが分かる(さらには、そんな日々がいかに貴重だったかは、失われて初めて気づくことも)。にもかかわらず、わたしは気づかないフリをする。目先の雑事と、先々の不安で頭を一杯にし、振り返っても後悔ばかりしている。人生を微分したのが今日なのだから、幸せだと思って今日...
ホラー映画の紹介で「犬は無事です」といったキャプションがつくことがある。怖い映画を見たいけれど、(たとえフィクションでも)犬が死ぬのを見るのは忍びない人に向けた配慮がなされる時代となった。同様に、惨たらしく子どもが殺されるような作品は、「悪趣味」だとか「下品」といった批判の的となり、厳しくゾーニングされる。そういう配慮に慣れ親しみつつある身としては、ガルシア=マルケス『族長の秋』には頭ガツンとやられた。犬は死ぬし、子どもは助からない。50年前に世に出たからなのか、ラテンアメリカの腐敗国家を、配慮も容赦も踏みにじるように描いている。治らない男色を恥じて自ら尻穴にダイナマイトを詰めてはらわたを吹っ飛ばす将軍。スコットランドから運ばれた60匹の狩猟犬に生きながら食い殺される母子。香辛料をたっぷりかけてオーブンでこんがり焼き上げられ、銀のトレイに横たえられた大臣。宝くじの不正に加担した子ども2千人の口封じにやったことなど、どこまで笑っていいグロテスクなのか分からない。奇妙なのはその語り口だ。物語の中心には、カリブ海にある独裁国家の大統領がいるのだが、彼には名前が無い。無限の権力を持ち、何十年にも渡って国家を支配し続ける暴君であり、政敵を排除し...
開高健の言葉だと思うが、「女と食いものが書ければ一人前」という言葉がある。小説の技術は、単に物語をつむぐだけではなく、人間の欲望や感情を描く能力が求められる。特に食と女は、根源的な欲望や美に関するテーマであるが故、これが書けるということは、作家としての成熟が求められる―――などと解釈している。宇能鴻一郎はその最強に位置する。昭和的で猥雑な香ばしさの中から、おもわず喉が鳴るような女と食いものが登場する。例えば、もうもうと煙が立ち込めるモツ焼き屋でレバ刺しを食べるところ。何といってもまず新鮮な、切り口がビンと角張って立っている肝臓である。それが葱と生姜とレモンの輪切りを浮かべたタレに浸って、小鉢のなかで電燈に赤く輝いているのを見ると、それだけで生唾が湧く。口に入れて舌で押しつぶすと、生きて活動しているその細胞がひとつひとつ、新鮮な汁液を放ちつつ潰れてゆくのがわかり、薬味でアクセントをつけられた味わいがねっとりと舌の表面をおおいつくし、いくら唾液で洗っても、甲州葡萄酒を一口、ごくり、とやるまでは消えさらない。「切り口がビンと角張って立っている」レバーなんて、なかなかお目にかかれない。新鮮なレバーを口に含んだときの崩れつつある、あの感触と風味...
「英文がスラスラ読めるようになりたい」私の切実な願いに、読書猿さんは言い放った「まず2万語な!」―――6年前の話だ。藁にもすがる思いで手を出したのがこれ。1127日かけて2回読んだ。結果は次の通り。 7870 words 始める前 9944 words 1周目(610日)完了後 12509 words 2周目(517日)完了後語彙力はpreplyでテストした。語彙力が増強されていることが数字で分かるが、あまり驚きはない。この『Merriam-Webster's Vocabulary Builder 』は、250もの語根や語幹をベースに単語を解説する単語帳で、私の英語力で背伸びして読めるレベルなので、そりゃ2回も読んだら強くなるわな、と思う。それよりも、3年も続いたことに驚いている。学校を卒業してから、英会話学校へ通ったり(1ヶ月で挫折)、通信講座を受けたり(2ヶ月で挫折)、英語の本に挑戦したり(1時間で挫折)してきたのだが、どれも続かなかった。「継続こそパワー」なんて知ってる。問題は、「継続」が続かないことだ。この記事では、どうやって継続したかに着目して、私がやってきた工夫を紹介する。工夫1:英語お姉ちゃんに聞く骨しゃぶりさん...
「センスが良くなる」というふれこみで読んだが、ハッタリではなく腑に落ちた。さらに、「予測誤差の最小化」という視点からの芸術論に出会えたのが嬉しい。『勉強の哲学』もそうだったが、私にとって得るものが大きい一冊。「音楽のセンスが良い」とか「着る服のセンスが良い」というけれど、この「センス」とは何ぞや?から始まり、小説や絵画、映画の具体例を挙げつつ、芸術作品との向き合い方を生活レベルで語り明かす。読んだ後、次に触れる作品を別のチャネルから感じ取れるようになるだけでなく、生活感覚が違ってくるかもしれぬ(感覚が底上げされる感覚、といえば分かるだろうか)。本書の切り口はフォーマリズムだ。形式や構造に焦点を当てることで、作品が持つモチーフやテーマが示す意味や目的からいったん離れ、メタな視点から、対象をリズムやうねりとして「脱意味的」に楽しむ―――この考え方は、ゴンブリッチや佐藤亜紀の指摘で薄々気づいていたけれど、こう順序だてて明確に述べられると、沁みるように分かる。分かると嬉しいし、すぐに応用できて楽しい。ポークソテーでセンスを良くするたとえば、ポークソテーのマスタードソース。脂の旨味の上にピリッとした粒マスタードが効いてて、噛みしめるごとに旨み酸...
超巨大ビルを建設したり、前例のないプロジェクトを成功させるなど、どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?サブタイトルの答えは、ITエンジニアにおなじみの「モジュール化」と「イテレーション」になる。モジュール化とは、システムやアプリケーションを独立した部品(モジュール)に分割する設計手法のこと。分割することで複雑なシステムを管理しやすくし、保守性や品質を向上させることができる。イテレーションとは、アジャイル開発において、計画・開発・テストを繰り返し行う短い開発サイクルのこと。反復を繰り返すことで、顧客からのフィードバックやリスクの発見を早期に行い、対策を講じやすくする。モジュール化とイテレーション、この2つが、プロジェクトを成功に導く鍵になる。そしてこの手法を、システム開発ではなく、巨大プロジェクトに応用せよという。本書では、エンパイアステートビルの建築や、ピクサー映画の制作などで、モジュール化とイテレーションがどのように実現されているかを紹介している。成功したビル建設と映画製作に共通するもの例えば、エンパイアステートビルの建設は、モジュール化とイテレーションの好例だ。ニューヨークで最も高い443mの標高を誇る102階建てのビル...
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